みんなのてらこや ~study for happiness~

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コミュニケーション能力を低下させたいなら正しさを追求しよう 手越祐也さんの活動自粛処分に思うこと

こんにちは、みんなのてらこや(通称なのてら)のひろ師匠(@hiroshisho96)です

 

今回は

 

手越祐也さんの活動自粛処分に思う、人々の心理について考えたことを書いていきます

hochi.news

手越祐也さんのNEWSについては記事リンクを貼っておきます

(手越祐也さんのNEWSって。。。)

 

 

 

結論

正しさよりも納得感

 

はじめに

実は私、過労で休職していたときに

 

キャリアカウンセラーの資格取得のため心理学の勉強をしていました

(取得前に復帰したため未取得です←なら言うな)

 

なので人の心理という部分には関心があります

 

今回の手越祐也さんの件も、みんなどういう風に考えてこうなったんだろうなと気になりました

 

なぜ活動自粛になったのか

結論として

 

今の世論を納得させるにはこれが適当だった

 

と考えました

 

それぞれの立場から考えていきます

 

もちろん全部推測です

 

ちなみに私は個人的に好きなキャラなので

 

イッテQとか続けて欲しいなと思っています

 

当事者は飲みに行ってもいいと判断した

手越祐也さん本人

彼だけはこの現象に対して当事者なので

 

判断の基準が他人と違います

 

判断の基準は本能と理性です

 

友達と会いたい、盛り上がりたいという本能

 

所属事務所、日本の世論、コロナに対する持論といった理性

 

これを天秤にかけて街に繰り出していいと判断したわけです

 

友人たち

一緒に飲みに行った友人たちも

 

一緒に行くという他に、手越さんを止める、断ると言った選択肢を持っていました

 

しかし、手越さんと同じように

 

行きたい、飲みたいという本能の部分と

 

今は飲みに行っていいのか、といった理性部分を天秤にかけ

 

一緒に飲みに行くという判断をしました

 

次に活動自粛処分を下した側です

 

制裁を求める側

ジャニーズ事務所

処分を下した側は基本的に理性的な判断となります

 

手越さんは犯罪を犯したわけではないので

 

事務所としての方針やルールと照らし合わせる

 

そして世間の判断を推測するという客観的な判断をします

 

今回でいえば擁護するか、処分するかの判断ができました

 

環境としては

 

Smile Up!Project実施中だった

・世間は外出を我慢している状態だった

・本人のスキャンダルが初めてではない

・キャラが叩かれやすい

 

こういった様々な変数が存在していた部分があります

 

おそらく、今回は処分することによるメリットが大きいことが想像に容易く

 

要するエネルギーも少ないことが決め手だったのではないでしょうか

 

 

世間

 

 

ちゃんと調べてはいませんが

 

先ほどTwitterで「手越祐也」と検索したところ

 

思った以上に応援コメントが多いです(調査方法の杜撰さは否めない)

 

これは

・特定の被害者が出ていないこと

・犯罪を犯しているわけではないこと

 

と言った部分が多いのではないかと思いました

 

叩く気持ち自体は本能部分から湧き出しますが

 

文字にする際に理性を通ります

 

手越さんの場合ファンが多いので

 

叩く覚悟も相当必要です

 

そして早々と事務所も自粛処分を下しました

 

結果的に応援する声が多くなっったのかなと思います

 

活動自粛処分から思う、正しさの根拠の脆弱性

活動自粛処分が正しい、間違いという議論をするわけではありません

 

考えたことは正しさってすごい求められるけど

 

普遍的な正しさって重要じゃないって話をしたいです

 

正しさが重要じゃない理由 環境によって変わる

正しさは所属する社会、ルール、時代、時間、地域

 

様々な影響を受けるため一定ではありません

 

正しさの権化と思われている数学の世界でも

 

ガッチガチの定義を決めます

 

1+1=2は正しいに決まっていると思いませんか?

 

平行線は絶対交わらないと思っていませんか?

 

これはその定義(体や群など)の上では正しいだけで

 

定義が変われば成り立たなくなります

 

平行線は交わるし

 

1+1=2は不正解の世界があります

 

正しさって人を判断できるほど確実じゃないんです

 

正しさが重要じゃない理由 正しいもどきが多い

 

こんな意見の出し方する人いませんか

 

「ってみんなが言ってました」

「世間が黙っちゃいない」

「私はこう教わってきた」

 

これが正しいもどきです

 

ビジネスや研究など正しさが重要な部分は確かにありますが

 

世間一般のコミュニケーションに正しさって必要でしょうか?

 

正しいもどきが溢れたせいでそんな雰囲気になっているだけな気がします

 

 

正しさが重要じゃない理由 正しさよりも納得

 

人が行動する理由って厳密な正しさじゃないと思うんです

 

例えば人に相談した時って自分が納得できるかどうかが重要ではないでしょうか

 

「それって、実は科学的に証明されてて、悩む必要ないんですよ」

「俺がそうだったときはこうやって解決したんですよ」

 

ほら、こんな言葉でムカついたことありませんか?

 

また、何かが欲しい時って調べますよね

 

調べる時って、そのものの合理的な部分より

 

買うことを納得できるような理由を探していませんか?

 

合理的な行動をしているようで人間は納得したい生き物だと言えます

 

最後に

手越さんの活動自粛処分の件も

 

この判断が正しかったかどうかと言うよりも

 

数ある手段の中から今回はこれが選ばれただけであり

 

「今までの行動から当然」

みたいな意見は結果に対して発生した気持ちなのであって正しいわけではありません

 

つまり環境によって正しさは変化します

 

また正しさの怖いところは自分が有能だと思い込むところですね

 

人から嫌われているなと思ったら

 

一度正しさを捨ててみてください

 

相手がどうしてそう言うことしているのか考えてあげてください

 

これまでにないくらいとりとめのない文章になってしまいました

 

読みづらかったらすいません、気持ちを汲み取ってください

 

まとめ

正しさよりも納得感